映画ゴト。私ゴト。

映画人だからこその独りゴト。

見終わった後に映画の意味が分かるいい後味の映画ー映画「輪廻」感想

普段ホラーは一切観ないのですが、今回仕事の参考にホラー映画を何本か一気に観ました。
その中で一番面白かったのが輪廻です。

 

話としては確かに突っ込みどころもありますが、如何せんホラー映画なので。
Jホラーといえば、の清水崇監督です。
冷静になるとえ?となることでも勢いで10分に1回は怖がらせよう!みたいな演出をされている気がしなくもないです。

なので、ホラー映画で理屈や辻褄なんて考えてたら楽しめないわけですね。

 

優香が主演で35年前に起きた大量殺人事件を映画を撮っていくという話ですね。
その中でその殺人事件で殺された人の生まれ変わりの人達がどんどん撮影現場に集まって死んでいく感じです。

 

もともと私は過去と現在が交差する構成の話が好きで、この映画もとても良くできていたので結構好きでした。まぁ、怖いんですけど。

 

どうやら大きなスタジオに2階建てのホテルのセットを作って撮影されたそうな。

殺人事件が起きる綺麗なホテルの時と、廃墟になってから撮影が始まるホテルのセットでは同じ場所だと思えないくらい雰囲気が違います。大変だったんでしょうね...


映画の撮影しているシーンを映画で撮るとなるとスタッフも機材もどっちのやつかごっちゃになりそうで現場を想像すると面白いです。
内トラで本物のカメラマンさんも出ているとかいないとか。

 

ホラー映画なのにミステリーのような構成になっているので、最後に少しびっくりしますね。
ただ、技術的にも2005年の映画なのでCGもそれほどうまく使えないときです。

なので死者がゾンビのように歩くシーンはそのメイクで大丈夫?となるほどシュールだったりします。


ホラー映画や特撮ものはどうしても機材の技術になるので好き嫌いがはっきり分かれてきそうですね。
昔のアナログで怖さを工夫しながらやる方がよりリアルで好きなのか、CGを使いまくってあり得ないところからありえないものが出てくる驚きが好きなのか。

 

Jホラーを支える2本柱の一つ、呪怨の伽揶子。
あれは当時作品にかけるお金が無さすぎて、階段から降りる伽揶子役にワイヤーや安全装置なんてつけれなかったそうです。なので役者さんが自力で腕の力だけで降りなければならなかった。

 

そのせいか、伽揶子役の役者さんは未だに伽揶子の役でオファーされたら腕立て伏せをして鍛え始めるそうな(笑)


今では踊ったり始球式に出たり全然怖くない伽揶子さんをよく見かけますが、過去の話を聞くとすごいことだなと思いますね。

 

今の時代に、あそこまで一斉を風靡したホラー映画の主人公は出てこないような気がします。そう言った意味で、昔のホラー映画は本当にすごいなと感じますね。

残った印象は圧倒的美術の美しさのみー映画「グランドブダペストホテル」感想

予告でみて思っていた映画と全然違いました。
コメディ風ミステリーとなっていたのでゆったりとした気持ちでみれると思いきや、意外と残酷です。

 

この残酷さ、グロさ、というものをコメディ風にしているというのは否定しません。
人間のドロドロした部分をあえて薄めるために装飾や美術にあそこまで力をいれている感じなんてすかね。

 

監督の好みなんかもありそうですが、如何せんどのシーンも目はお腹いっぱいになるんです。

美術的な華やかさの影に隠された、ストーリーの脆弱さが際立ったように見えたのは私だけでしょうか?

 

しかし、ウェス・アンダーソン監督といえば脚本家でもありますね。

そこの物語の引っ張りの力は大いにあったのではないかとも思います。うーん。


雪の風景にもなじむように薄いピンクが基調とされていますね。

そこもまぁ、美しくもあるのですが如何せん話が重い。


しかも観終わったあとに何一つ残らないんですよね。

ハッピーエンドかと言われればそんな気もしますが、そうではないのか聞かれるときっとそうでもないんです。

 

誰視点とするかで見方は大きく変わってくるでしょうね。
この映画のテーマは絆なんですか?

 

ウェス・アンダーソンの毒は嫌いではないです。

しかし今回は私にはあいませんでした。

ダージリン急行」や「ムーンライズ・キングダム」は結構好きだったのですが…

 

 

それにしても、最後の小説家の銅像のシーンは要るのか要らないのかよく分からないまま流してしまったのですがあそこは少ししか写らないのにセットお金かかっていますね。
もちろん他のシーンもですが。

 

ところどころ特撮のような技術で描いていてそれはそれで面白かったりしましたね。

ただただ女性のための親友号泣映画ー映画「マイ・ベスト・フレンド」感想

映画や本のただの感想を書いていますが、平気でネタバレしています。

その映画の重要だと思う部分に触れることはないです。

ただ、思ったことを書いているだけなので、『それ、知りたくなかったよ』なんてことをペロッと書いてしまっていることは了承ください。

 

 


という訳で、この映画はガンを患う女性と子どもを身ごもる女性の友情を描いたイギリス映画です。
きっと世の女性たちの理想の親友物語でしょうね。


英題である「miss you already」の方が情緒があって素敵な感じはします。

でもターゲットを女性のティーンや働く世代に絞るなら日本題の「マイ・ベスト・フレンド」で十分映画館に座らせる引力はあるのかな、という穿った見方をしてしまいますが。

 

これは本当によくある、病気を患ってどちらかが死んでしまう系の映画なんですよ。
なので特筆するようなことって全然ないんです。

 

ただ、嵐ヶ丘ディケンズなどのイギリス文学の描写が出てくるのでイギリス好きにはたまらん映画ではないかと密かにほくそえんではいます。


ガンとは案外身近な病気であるのに、知らないことだらけでおののいてしまう病気ですよね。

それを実感できるのはこの映画のよいところな感じはします。

 

きっと病気の無関心さは世界共通で、気にしてる人は気にしているし舐めている人は急に頭を打つようなものですし。

まさか私が!?なんて言われても客観的にみたら、そういう人もいるだろうよと鼻で笑えてしまえる。

 

しかし、自分にふりかかってくると理不尽だと騒ぎたくなるもので。

あの女性の身勝手さは分からなくもない悲劇なんですよね。

 

一番テーマを感じたのは、ガンを患った女性を看取ったのは愛する夫ではなく大親友というシーン。

そこは、夫含めて3人のシーンとしなかったことがやるな!と感じたりしましたね。


すぐに夫が駆けつけましたが、リアルさとかそういうことではなくてテーマを女性の友情としているのならばやるとこまでやってくれ!というのをちゃんとやってくれた感じです。

 

ただ、この映画で気に入らなかったところが2つだけあります。

最後の方のシーンで元バンドマンの夫が着ていたTシャツに訳の分からない漢字がデザインされていたこと。


イギリスでは『極度乾燥しなさい(Super Dry)』みたいな日本語が書かれたデザインのTシャツが人気のあるようです。

が、日本人としてみるとなかなか覚めてしまうものですね。感動シーンやシリアスなシーンで着てなくて本当によかったです。

 

 

そしてもう一つがエンドロールの曲。
なぜか日本人が日本語で歌ってるんですよね。

完全に狙ってきてる感があって本当に気持ち悪い。


エンドロール含めて映画という作品であるのになぜそこでイギリス映画の良さを消しにかかったのか宣伝部のセンスが問われる部分ですね。

 

けれどそれ以外は本当に女性ならば共感しますし泣きます。多分。

 

愛する人を愛し、同じように愛されるとはどういうことかー映画「リリーのすべて」感想

この映画は私の中でいまだにベスト3に入る映画です。

 

この映画は1920年代のデンマークが舞台になっている、世界で初めて性別適合手術を受けた女性の物語です。

英題は「The Danish Girl」そのデンマーク人の女ですね。

 

この物語には性別適合手術を受けたリリー(アイナー)と、その妻であるゲルタの二人のデンマーク人が出てきます。

日本語での題は「リリーのすべて」となっていますがこの英題でのデンマーク人の女とはリリーのことではなく妻のゲルタに感情移入してしまう作品でした。

 

ここにわずかな大人の世界のいやらしさを感じますね。

日本で人気のあるエディ・レッドメインが出演しているからこそ、邦題をエディよりのものにしたのでしょう。

 

これは完全に妻・ゲルダの物語です。

 

ふとしたきっかけでアイナーは自分の中の女性を自覚し、どんどん変わっていってしまいます。

その変わっていく様が女に目覚めたばかりの5歳児のようなわがままさと柔らかさをもって映し出されています。

 

これは演じたエディ・レッドメインの演技力が飛び抜けて素晴らしいからこそ魅せられるシーンですね。

しかしもっとすごいのは、愛していた夫が自分を愛している気持ちは変わらず手の届かない風に変わっていってしまうことを受け入れて支え、残酷なまでの痛みや辛さを表現した妻ゲルタ役のアリシア・ヴィキャンデルですね。

 

 

この方は本当にすごい。

小さな表情の変化から底知れない痛みを感じ取れるんですよ。

 

リリーが身勝手にもどんどん女性へと変わっていくことを支える中で、ゲルタは心のどこかでわずかなアイナーの部分を信じているシーンがあります。

 

リリーが性別転換手術を受ける際に「私はこれで幸せになれる。本当の自分になれる」とゲルタの希望をズタズタにしてしまうようなセリフを言うのですが、その時でさえ痛みを感じつつもリリーのことを涙を流しながら笑顔でその気持ちを応援します。

 

その一瞬の痛みを正直観てられません。

こっちまで痛くなって涙が止まらなくなります。本当にすごいです。

 

原作は読んだことがないのですが、どうやら史実でゲルタはレズビアン的な方だったそうです。

映画ではその演出は一切ありませんが、もしこの事実を知って映画を観ていたらこの感動はなかったかもしれません。

 

自分の愛した人が自分への愛情が変わらないのに離れていく感覚というのは、壮絶な痛みを伴うはずです。

そんな時でも夫のリリーを応援し続けた究極の愛がこの映画のテーマ。

 

この余計な設定を加えなかったのはこの映画の最大の成功だと思います。

 

ほかの方のレビューを観ていると、「アート映画だ」「トランスジェンダーものはよく分からない」というコメントをよく見かけますが、この映画はそもそもがラブストーリーです。

 

確かに映像美やLGTBQを扱った作品ではあるかもしれませんがそこまで壁は高くはありません。

偏った見方かもしれませんが「アート映画はよく分からない」というコメントの裏にトランスジェンダーへの嫌悪感や無関心が隠れているようでなんだか逆にもやもやしますね。

 

LGBTQの理解を促すためといえば確かにそうかもしれませんが、きっと制作者側はそこを重点に置いていない感じがするので、もっと気軽に見てもよいのではないかと思ったりもします。

 

 

この映画の舞台は1920年代ということで時代的にはファンタスティックビーストとほぼ同じ時代なんです。

なので衣装や雰囲気なんかも似てはいます。

 

しかし、アメリカとヨーロッパの差なのかやはりこの映画の中の衣装の方が華やかな中に品があり、個性があり素敵だと感じてしまいました。

 

 

ゲルタとアイナーの駅で分かれるシーンは今思い出しても泣きそうになる良いシーンです。是非。

 

 

 

文学は芸術なのか、という疑問にストレートに打ち返してくるー本「ジークフリートの剣」感想

講談社文庫から出ている深水黎一郎さん作のミステリー本です。

 

帯に「ミステリ界の総合芸術」と書いてありそれに惹かれて購入しました。

正直、舞台は観ますがオペラは観たことがな買ったため、分からないのではないかと思って読んでいました。

 

しかし、オペラの解説書ではないかというほどに丁寧に説明され、物語が描かれているのでとてもわかりやすいです。

オペラ初めましてでも全然読めます。

 

話の流れはメフィスト賞っぽいと思っていたらこの作家さんはメフィスト賞受賞者でした。

道理で作風が我が道を行っている。流石です。

 

個人的に講談社メフィスト賞ゴーイングマイウェイな作家さんが多いような気がして、私はとても好きです。

俺はこれがめっちゃ好き!が本を読んでいて伝わってくるところがものすごく心地いいのです。

 

話は戻りますが、この本のすごいところは活字の世界であるにもかかわらず、舞台を繊細に描き、ラストシーンで荘厳な雰囲気を見事に再現した表現力にあると思います。

実際に私はこの本のラスト3ページは目に浮かぶ景色があまりにも美しすぎて鳥肌が立ちっぱなしでした。

 

オペラをそれほど知らない私がそうなったので、オペラ好きには涙が出るほど美しい本なのではないかと思います。

 

しかしこの本はミステリー本です。

でなければそもそも私手を出していません。

 

けれどこの物語に謎時が出てくるのはずっと後半です。

3分の2まで読み終わった段階でもまだ普通の芸術小説でした。

 

けれどラスト怒濤の謎解きからの舞台のフィナーレは、何度も言いますが実に美しい。

きっとこの物語の構成もオペラを模したものになっているのでしょう。

 

物語のはじめに登場する占いのおばあさんは、歌劇でよく目にする予言の魔女か、お告げの魔女といったところです。

 はじめは確かにだらだらと進む印象が強いですがどんどん面白くなっていき一気に読み終わってしまいました。

 

芸術とはなにか、ということにも言及していることもこの本の面白い点かもしれません。

芸術分野に1度でも足を突っ込んだことのある者なら、必ずぶつかる命題だと思います。

 

娯楽と芸術は相反する存在であり、共存はしません。

けれど芸術の始まりが娯楽である人は案外多いのではないかと思ってしまいました。

 

なにげない楽しみが高じてプロになる人も少なくないのではないかと。

音楽業界というのは、他の芸術とはまた違い、特殊な感じはしますが。

 

 

JKローリングは児童文学の母と呼んでもいいと思うー映画「ファンタスティックビースト〜魔法使いの旅〜」感想

JKローリングさんはハリーポッターもそうですが、不遇な環境下にある子どもの闇を描くことが、とても上手な方。

 

ハリーポッターは両親もおらず、親戚の家で虐められながら育つ姿を描きシリーズ後半ではスネイプ先生の境遇に共感し自分と父は違うのだということに気づくシーンがありました。

 

このファンタビの中でも義理の親から虐待を受けている子どもが出てきます。

そして、ニュートのトランクの中にも子どもが力を抑圧された際に生まれる黒い生命体が出てきます。

 

その生命体の話が映画内で出てきたとき、JKローリングさんはなんて子どもの闇を、子どもの心が生み出す力強さを分かっているのだろうかと驚きました。

 

きっとJKローリングさん自身がお子さんを持ったお母さんだからなのでしょうね。

そして、イギリスという社会の中で抑圧を受けた一人だからこその作品なのではないかと感じました。

 

何お資料で読んだのか忘れてしまいましたが、昔ハリーポッターシリーズが流行し始めた頃、イギリスには未だに女性に対する偏見や差別的な感情が強かったといいます。

なので、JKローリングさんも作品を出すときは女性の名前で出すと売れないために男性の名前で本を出していたこともあるそうな。

 

イギリス人に、日本の古典にあたる枕草子源氏物語の作者が女性であるというというと驚かれるのはきっとそういうことが背景にあるのでしょう。

日本では女性が堂々と名前を出して作品を作っている。そしてその作品がちゃんと売れている。

 

それは日本のきっと良い面なのでしょうね。

 

作品の話に戻りますが、今回の作品の登場人物もニュート・スキャマンダーという男性です。

ハリー・ポッターの時と同様、作者が女性であるのに対し主人公は男性です。

 

ジブリ宮崎駿監督もそうですが、自分とは異なる性別の主人公の方が物語を紡いでいきやすいのでしょうか。

宮崎監督も「風立ちぬ」を作った際に男性を主人公にしてしまうとどうしても自分を投影してしまって恥ずかしいみたいなことをいっていましたね。

 

あるいは、JKローリングさんの場合は息子さんに投影をして話を描いているのかもしれません。

 

今回の作品を私は、2Dと4DXと2回観ました。

2Dの方は物語に集中できた感じがします。

 

しかし、4DXは完全にアトラクションなので落ち着かないうえに酔ってしまうんです。

なので酔いいやすい方にはおすすめはしません。

 

けれど後半は、これは物語としてというよりも見応え重視の演出だな、というくらい迫力があります。

そこはIMAXか4DXならではの見応えなのではないでしょか。

 

正直、一回ではラブストーリーに、魔法動物のかわいさに、アクションに、ミステリーに物語の要素が多いので忙しくて追いつけない部分もあるかと思います。

なのでお好きな方は、可能なら2度以上観に行くのがよいのではないかと思ったりもします。

 

 エディ・レッドメインエズラ・ミラー好きもきっと満足するはずです。

あと、1920年代の衣装が好きな方にもおすすめですね。

 

10年ごとに観返したい名作ー映画「レミゼラブル」 本ー「ああ無情」感想

はじめて私がこの作品を知ったのは小学校6年生の時です。

当時通っていた発声教室が年に1回舞台で発表があるということで、私のところは演目としてレミゼラブルをやることになりました。


劇をやるということで、本が好きだった私はすぐに原作本を買いに行ったのを覚えています。

青い鳥文庫だったか...とりあえず児童書だったと思います。

タイトルはレミゼラブルではなく『ああ無情』。
今ではミュージカルや映画の影響かこのタイトルで呼ばれることは少なさそうですね。

 

小6だった私はその本を面白くて1日で読んでしまい、夜に読んだせいかわんわん泣きながら読み終わったんですよ。
しかし、一点だけ分からなかったのジャベール警部がなぜ自殺したのか。

 

その頃は感動の方が強かったのでそこまで気にはなりませんでしたが大人になるまでずっと心に引っ掛かってはいました。

 

 

次にこの作品に触れたのはヒュージャックマンがジャン・バルジャンを演じたミュージカル映画でした。

大きな劇場で、友達と観たレミゼラブルは圧巻で上映中ずっと鳥肌がたちっぱなしだったのを覚えています。


しかしこのとき大学生だったのですがその時も、なぜジャベール警部は自殺したんだと腑に落ちなかったんです。

そのことをバイト先の10個上の先輩に話すと、「昔は分からなかったが今ではなぜ自殺したのか分かる」と言われ、余計に分からなくなりました。

 


そして、それから大分月日がたち私も社会人になりました。

甘やからされて育った私は社会の荒波に揉まれて、いろいろ苦労することがたくさんありました。


やっと最近になって思い出したようにレミゼラブルをDVDで見返したときに、ジャベール警部がなぜ自殺をしたのかがなんとなく分かるなと思えたのです。
はっきりと「ジャベール分かるよ!」と共感は出来ませんが、以前に比べて彼のとった行動がスッと自分の中で落ち着く場所をみつけたようでした。

 

ようは東大を目指して中学校からずっと机に向かい、頑張りすぎて入学したら目的を見失い自殺したくなる、みたいなものかと。
そういってしまうと例えが荒すぎるかもしれません。

 

ですが、自分の信念を軸に生きてきた人が、急に現実と自分の中の信念との間に差を見いだし、生きるのも辛くなって死んでしまうのはぼんやり理解できます。

もちろん死ぬことはないだろう、と思わなくもないですがあの時代の閉塞感と緊張感を考えればない話ではないですね。


なんせそれを受け止める私は平和という、ぬるま湯の中からしか彼をみてませんから。

 

 

私は映画が好きで数を観る方ではありませんが、1度観た映画を何度も観ます。

気に入ったものは月1くらいでも観ます。

 


それは感動や感情は観るタイミングで大きく変わっていくからです。

絶妙なタイミングで観たがゆえに心動かされる作品はたくさんあります。
感動したい。だから何度も観るんです。

 

やはり若い時にしか見えないものや感じ得ないものもあるので、どちらがよいとは思いません。

ですが、あらゆる経験の中から感情を溢れ出させるのは年齢を重ねていったからこそ、得られるものなのかもしれません。